私は、まだ企画書を書くことができなかった頃、一枚の紙に思いつきのアイデアを書きました
それをある経営者の方に見ていただいたところ、いきなり厳しく怒られてしまいました
「これは企画書じゃない。思いつきのアイデアが書いてあるだけじゃないか!」
「すみません・・・・どうすればいいのでしょうか?」
「まずは、何のために、具体的に何をするのかをまとめなさい」
「わかりました。ありがとうございます」
数日後、企画書は三枚になりました
そして、それを別の方にお見せしました
「何だね、このいい加減な企画書は・・・・?」
「どこがいい加減なのでしょうか?」
「どのようにやるのか、まったくわからないね・・・・これでは
成功までのステップを、できることから、どのようにやっていくのか、きちんと計画を立てなさい」
「わかりました。ありがとうございます!」
その数日後、企画書は五枚になっていました
それを、また別の方に見ていただきました
そしてまた、新たなアドバイスをいただき、さらに書き加えていきました
こうして三十人くらいにお会いして、さまざまなアドバイスをいただきました
そして、その頃には、企画書はなんと約三百ページにもなっていました
そうなると、とても不思議なことが起こってくるようになりました
その後にお見せする方々の中から、「これは面白い、支援しよう」という方が、現れてくださるようになったのです
さらに私は、過去に一度でもお見せしたことのある方には、バージョンアップした企画書を、その都度お送りすることにしました
そして、三十回ほど送った方に、こちらから電話をしました
そうすると、みなさんが口をそろえたように言ってくださったのです
「すぐに来なさい。何でも応援するよ!・・・・・まさか君がここまでやるとは、思わなかった」
みな、私を待っていてくださったのです
私が問題を乗り越え、成長することを願って・・・・・
私を応援するために、わざと難しい課題を提示して、それを解決できるかどうかをずっと見守っていてくださったのです
まわりのすべての人が、待っています
しかし、その前に自分があきらめてしまうことがあるだけなのです
厳しい状況を見て、あきらめてしまうのではなく、その状況に合わせて、やり方を変えていけばいいのです
いろいろやっているのに、うまくいかないからと、目指していることをあきらめてはなりません
どんな状況に置かれたとしても、手法は百万通りあります
たまに、「ありとあらゆることをやったけど、成果が出ない」「万策尽きて、行き詰った」という人がいます
しかし、本当にそうでしょうか?
本当に「ありとあらゆることをやった」「万策尽きた」と言うことは、できるのでしょうか
残念ながら、ありとあらゆることをやった人、万策を尽くした人はこの世にいないはずです
手法は無限にあるからです
どんなに万策を尽くしたとしても、新たな方法はいくらでも考え出すことができます
それらに取り組んでいるうちに、いつか目的を達成してしまうことでしょう
つまり、ありとあらゆることをやる前に、成功してしまうはずです
ですから、ありとあらゆることはできないのです
不可能と思うことはあっても、不可能はありません
「行き詰った」のは、錯覚に過ぎないのです
また、私たちは、思い通りにならない時に、「~たら」「~れば」という表現を使うことがあります
「お金があったら、やりたいことができるのに・・・」
「自分にもっと知識や経験があれば、できるのに・・・」
「まわりに支援していくれる人がいれば、もっとうまくいくのに・・・」
「環境が整いさえすれば、思いっきり活躍できるのに・・・」
しかし、できない理由をいくら言っても、問題を解決することはできません
大切なことは、それらを解決できる方法を考え出すことです
たとえば、「百万円あれば、新しいことができる」という時は、百万円を今からどのように集めるかを考えればいいでしょう
また、今手元に十万円あるのであれば、十万円からできる別の方法を考えてもいいかもしれません
仮に、一円も手元になくても、何かできることは必ずあるはずです
大切なことは、あきらめずにできることを考えようとする姿勢なのです
このように新たな手法や解決策を見出そうとする時に、とても大切なことがあります
それは、はじめから正解を探そうとしないということです
新しい手法はすべて「思いつき」のアイデアがもとになります
その「思いつき」を大切にする必要があるからです
はじめから正解を探そうとすれば、せっかく思いついたアイデアを、その場ですぐに評価しようとしてしまいます
しかし、これでは新しい手法を見出すことができなくなってしまいます
なぜならば、すべての「思いつき」は、理論的な評価に耐えうるものではないからです
思いついたアイデアを、その場で評価すると、役に立たないものばかりと感じるようになってしまって、それ以上アイデアを出す意欲がなくなってしまうのです
そうではなく、一つでもたくさんの「思いつき」のアイデアを出すようにしなければなりません
自分の抱える課題に対して、何事にもとらわれず、できるかできないかも関係なく、「思いつき」でたくさんのアイデアを出し続けるのです
とはいっても、はじめのうちは、どうしてもいいアイデアばかりを探してしまって、なかなか思いつかないかもしれません
しかし、「思いつき」に慣れてくれば、一時間で三百案くらい出すこともできると思います
このように、アイデアを出す時に重要なことは、何よりもたくさんの数を出すことです
そして、次のステップとして、たくさんのアイデアを一つひとつ評価して、実際に効果がある、または検討する価値があるものを、選択していきます
ここで、きちんと評価すればいいのです
つまり、アイデアを出す時と、評価をする時を、はっきり分けて行うということです
この時、アイデアをすべてグループ分けして、それぞれのグループにテーマをつけて、そのグループのアイデアをまとめていくことも、効果のある良い方法です
さらに、選択したアイデアに、知識やさらなるアイデアを重ねて、より良いアイデア、つまり、知恵に育て上げていくようにしてもいいでしょう
そして、選択したアイデアをビジネスの現場で試していきながら、さらに評価、選択、修正していくようにします
それにしても、どうして私たちはあきらめてしまうことがあるのでしょうか
それは、私たちはあらかじめ「あきらめるところ」を決めているからなのです
「お金がなくなったら、あきらめよう」
「自分の今の経験で対応できないことは、あきらめよう」
「十通りの方法で試しても、うまくいかなければ、あきらめよう」
「上司に三回提案して、わかってくれなかったら、あきらめよう」
「時間がきたら、あきらめよう」
「誰も助けてくれなかったら、あきらめよう」
そして「あきらめるところ」まで努力をして、それでも成果が出なければ、環境や他人のせいにして、不満や愚痴を言うようになります
それらは、はじめる前から、どこで言うかを決めて準備していたことなのです
簡単にあきらめる人ほど、不満や愚痴を言う準備をしています
しかし、あきらめない人は、不満や愚痴を言いません
なぜなら、あきらめない人は、それらを言ったところで、何も解決できることはないことを知っているからです
はじめる前の段階で、人によって、いつあきらめるかが決まっているのです
ですから、あきらめないためには、はじめる前にあきらめいことを「決意」しておくことが必要になります
あきらめないというのは、理屈でも何でもありません
それは「決意」に他ならないものだからです
そして、あきらめないと決めると、他人から怒られたり、非難されたりしても、アドバイスに聞こえるようになります
何を言われたとしても、あきらめないのですから、すべてがこれからの行動に活かされるだけなのです
自分の足りないところを知らされるということは、次にどうすれば良いかを考える上でとてもありがたいことです
さらに言えば、あきらめない人にとっては、まわりの人はどのような人であっても、感謝したくなる存在に見えるのです
あきらめることは、自分自身にしかできません
自分があきらめない限り、私たちの前には、すべての可能性があるのです
あきらめないこと、それはあらゆる可能性に満ちた人生を創造することに他なりません
そして、あきらめなかったことが感動になります
反対に、もしすべてが簡単に達成できるものばかりだとすれば、そこに感動はないはずです
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福島正伸 株式会社KADOKAWA 2014
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