どのような事態であろうとも、それは必要な事態である

人生

起きたことは、何かを教えてくれている

「理不尽なことで上司に怒られた」「大切な友人に誤解されてしまった」というように、仕事や人間関係で辛いことがあって、「どうして自分が、こんなつらい目に遭わなければならないのだろうか」と、落ち込んだ経験がある人は多いと思います

そのつらさから抜け出そうとして、趣味に没頭するとか、おいしいものを食べに行く人もいるかもしれません
しかし、それらは一時的な気分転換にはなるかもしれませんが、根本的な解決にはなりません
元の場所に帰れば、また同じ気持ちになってしまうでしょう
さらにその後も、また同じようなことが起こり、何度も同じような気持ちになってしまうからです

このようなときは、自分の考え方をちょっとだけ変えてみましょう
つまり、「つらいこと」と思うのではなく、その起きた出来事の意味を考え、前向きに「自分を成長させるチャンス」として、受け止めるのです

私も、以前は「つらい」と思うことがたくさんありました
起業したけれども、まったく売上が伸びない
営業に行っても、仕事をいただくことができない、相手がわかってくれない、提案が通らない
そのような状況の中で、将来のことを考えると、不安で眠れなくなる夜が、何日も続きました

けれども、今になって思うことは、そのときの経験がとても役に立っているということです
起こっている出来事はすべて、私たちが学ぶべきこと、私たちに必要なことを教えてくれているものなのです

見方を変えると、つらいことも気づきがある

そもそも、「つらいこと」というのは、何が基準なのでしょうか
よく考えてみると、つらいことと楽しいことは、同じだったりするのです

たとえば、仕事でお客さまからクレームがあったとしましょう
お客さまから信頼される会社をつくりたいと思っているときは「クレームだ、お客さまに対して本当に申し訳ないことをした。しかしこれは、私たちのやってきたことを振り返る、絶好の機会かもしれない。自分たちが立ちなかったところを、教えてくださったんだ。反省して、次に活かせば、これでもっとお客さまに喜んでいただける会社がつくれるぞ」と思えるものです

ところが、目的がないときは、ただ楽をすることばかりを考えてしまうため、クレームは「面倒なもの、つらいもの」になってしまいます

だれにでも、「つらい」と思うことはあるかもしれませんが、そのようなときには「一体なぜ、つらいと感じたのだろう」ということを、前向きに考えてみましょう
「この経験を次に活かすには、どうしたらいいのだろう」と考えていくと、その出来事が起きた意味が見つかるようになると思います

たとえば、こちらの言うことを聞かない人がいるとしても、その人がいてくれるおかげで、気づくことがたくさんあるはずです

「なぜ、言うことを聞かないのだろうか?言うことを聞かない人から、学べることは何だろう?そうか!きっと、まだ信頼関係ができていないんだ。自分がまだまだ、相手から尊敬されるような人間ではないからだ。自分の発言と行動を振り返って反省し、これからは、今まで以上に信頼され、尊敬される存在になろう。自分が変わるきっかけを与えてくれたんだ、ありがとう」
このように、ひとつの事態から、私たちは大いなる気づきを得ることもできるのです

また、いつも怒ってばかりいる上司がいたとします
「つらいな」と思えばそれだけですが、「自分の成長のために、無理をして怒ってくださっているんだ。嫌な役を自ら引き受けてくださっているんだ」と思えば、怒ってばかりいる上司に、感謝をしたくなるでしょう
そのような上司は、とてもありがたく、素晴らしい存在になります

要するに、自分が「つらい」と思うと、つらいことになる
「素晴らしい」と思うと、素晴らしいことになる
相手を「困った人だ」と思うと、相手は困った人になるのです
自分の気持ちは、自分の考え方次第で変わるのです
事実がどうであるか、相手がどうであるかではありません
自分自身が、どう考えるかなのです

「つらい」と思うということは、自分がまだまだ小さい人間だなとか、前向きに受け止められていないんだなとか、夢がないんだなとか、気づくことばかりなのです
それは、自分に足りないものに気づくチャンスです
私たちはいつも、人間としての器の大きさを試されています
すべては自分が成長するために、必要なことばかりなのです


1日1分元気になる法則

福島正伸 中経出版 2010

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