チームの心理的安全性とは?①
ハーバード大学教授のエイミー・C・エドモンソンは、1999年に「チームの心理的安全性」という概念を打ち立てました。
これまで8000回以上引用されたその論文の中で、「チームの心理的安全性とは、チームの中で対人関係におけるリスクをとっても大丈夫だ、というチームメンバーに共有される信念のこと」だと定義しました。
しかし、この定義は少しアカデミアに寄りすぎていて、これから組織・チームに「心理的安全性」をもたらそうという現場のマネジャーが使うには、難しい定義なのではないでしょうか。
現場でより使いやすい概念・定義として、チームの心理的安全性を整理してみましょう。
心理的安全なチームとは、一言でいうと「メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム・職場のこと」です。
心理的安全性という概念に関係なく、当然のように重要なことだと思われたかもしれません。
しかし、ほとんどの職場に、自然と生じてしまう「対人関係のリスク」が「健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をする」ことを阻害してしまうのです。
だから組織の誰もが生産的でよい仕事をすることを願っていたとしても、組織・チームはおのずと心理的安全ではないチームになってしまいます。
よりイメージを膨らませるために、この対人関係のリスクの高いチーム、つまり心理的「非」安全なチームを見てみましょう。
心理的「非」安全性について考える
人々はチームとして働く中で、どんな時に「対人関係のリスク」を感じるのでしょうか。
対人関係のリスクとは、自分の発言やアウトプットについて、チームの他のメンバーから「こんな風に思われるかもしれない」とか、「こういう仕打ちを受けるかもしれない」という、「良かれと思って行動しても、罰を受けるかもしれない」リスクのことです。
「別に、ウチのチームでは罰なんて与えていない」と思われるかもしれません。
しかし、ここでいう罰とはちょっとしたもので、その一つ一つは小さな行動なのです。
例えば、「会社方針」にしたがって、せっかくやってみた、新しいチャレンジや意見に「それ、ほんとうにうまくいくの?」と訝しげにたずねられたり、企画段階ではうまく通っても、結果として失敗してしまったら、評価が下がったり・・・・・。
心理的「非」安全なチームでは、どのような罰を受けるリスクがあるか、実際にチームで働く人々に聞くと、次のようなリスクが挙げられました。
みなさんの職場でも、もしかしたら目にするものがあるかもしれません。
- 同僚に依頼している仕事を、そろそろ仕上げてもらわないと納期に遅れてしまうが、リマインドすると面倒な奴だと思われてしまうリスク(だから、同僚からのアクションをイライラしながら待った)
- 率直に意見を言うと、空気が壊れたり、自分が嫌われたりするリスク(だから、言わなかった)
- お客さまの要望をきちんと理解して提案するために質問をしたいが、聞くと「何も知らない人だ」と思われるリスク(だから、聞いたほうが成果が出ただろうけれども、聞かなかった)
- 議論が空中戦になっているので、各メンバーの発言の意図を聞いたり、使っている言葉の定義を整理したいが、面倒な人だと思われるリスクだから、議論を黙って見えていた)
- 現場から離れて長い上司の感覚と、現場を見てきている自分の感覚では、かなりの乖離があるので、率直に意見をしたいが、失礼な部下だと思われるリスク(だから、今回も上司の方針にしたがった。後日「やっぱり」と思う出来事があった)
エドモンソン教授は、大きく四つのカテゴリ「無知」「無能」「邪魔」「否定的」だと思われるリスクを、対人関係のリスクとして整理しています。
- 「無知」だと思われたくない ⇒ 必要なことでも質問をせず、相談をしない
- 「無能」だと思われたくない ⇒ ミスを隠したり、自分の考えを言わない
- 「邪魔」だと思われたくない ⇒ 必要でも助けを求めず、不十分な仕事でも妥協する
- 「否定的」だと思われたくない ⇒ 是々非々で議論をせず、率直に意見を言わない
対人関係のリスクとはいま見てきたように、「チームの成果のためや、チームへの貢献を意図して行動したとしても、罰を受けるかもしれない」という不安を感じている状況のことを言います。
行動すると、罰せられるのだったら、行動しないほうがマシ。
だから、このようなリスクに怯える心理的「非」安全な職場では、いつのまにかメンバーは必要なことでも行動しなくなってしまうのです。
このように行動をしなくなる心理的「非」安全な職場は、「チームの学習」という観点で、大きく次の二つの問題があります。
1.挑戦することがリスクとなるため、実践し、模索し、行動することから学ぶということができなくなる
2.個々のメンバーが気づいていたり知っていたりすることを、うまくチームの財産へと変えることができない
つまり、チームというよりも分断された個人の集団(グループ)となってしまい、個人の学びはチーム・組織の学びとならないのです。
逆に「心理的安全な職場」では、このような罰や不安と戦ったり、忖度することにエネルギーを使う代わりに、「健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすること、成果を出すことに力を注げる」チームとなります。
心理的安全性の向上=学習するチームをつくる
「心理的安全性」を確保するメリットには、どのようなものがあるのでしょうか。
心理的安全性の高いチームと低いチームとを比べると、心理的安全性の高いチームのほうが中長期でより高いパフォーマンスを出していました。
その原因を探ると、心理的安全性の高いチームの方が、よりチーム内での学習が促進されていたのです。
それが結果的にパフォーマンスにつながったことが明らかになっています。
つまり、チームの心理的安全性はチーム内の学習を促進することで、パフォーマンスという成果を生み出すのです。
心理的安全性には、他にもさまざまなメリットがありますが、最も重要な心理的安全性の確保のメリットは「チームの学習」が促進されること、といえます。
ここで大切なことは、チームの心理的安全性は、あくまでチームパフォーマンスの先行指標であるということです。
つまり、心理的安全性は、まず「チーム学習」を促進し、実際にパフォーマンスが上がるのは、中長期的なのです。
そのため心理的安全性の向上を目指して、すぐに効果が現れないからといってやめてしまうのは、非常にもったいないと言えます。
そもそも「チーム」とはなにか
ここまで「チーム」という言葉を何度か使ってきました。
私たちが今では職場で、当たり前に使うチームという言葉について、マサチューセッツ工科大学(MIT)のオスターマン教授はこんな風に述べています。
「職場における、チームという概念それ自体が、1980年以降、最も広まったイノベーションのひとつだ」
つまり、スポーツではなく、職場でチームという考え方が導入されたのは、人類の労働の歴史からすると、比較的最近のことなのです。
この「チーム」とは一体何のことを指しているのか考えてみましょう。
例えば、あなたがひとりで講演会に参加して、同じテーブルの左右には、知らない人が座っている。
そんなシーンをイメージしてみてください。
講演が始まり、登壇者が、こんな風に声をかけます。
「同じテーブルの、左右3人でチームを作ってください」
果たして、このテーブルの3人は「チーム」でしょうか。
少なくとも、左右を見渡して、遠慮がちに会釈したこの3人には「チーム感」は無いはずです。
それでは、どうしたら、単なる人の集団、すなわちグループは、チームへと変わるのでしょうか。
それは「互いにアイデアを生み出す。ともに問題に取り組む。ともに目標やゴールに向かうという活動があって、チームになる」のです。
人々が、たどり着きたい場所や抱えている課題について率直に話し、決めたことを試し、トラブルにあっては助け合い、個々人の強みや持ち味を活かしながら前に進みます。
それぞれが健全に依存し合う相互作用の中で、単なる人の集合体は「チーム」へと変わっていくのです。
リモートワークとチーム
新型コロナウイルス対策の一環として発令された緊急事態宣言によって、いくつかの業種の職場はリモートワーク(テレワーク・在宅ワーク)へと移行を余儀なくされました。
その際、著者の登壇したイベントでも「リモートワーク、どうしたらいいんだろう」という困惑の声がさまざまなところから聞かれました。
いろいろな話の中で最も重要だと感じたのは、「リモートワーク前に単なるグループだったなら、それはオフィスという場所が人々を繋いでいただけだから、リモートになればバラバラになる。
チームになっていたなら、リモートシフトが起きたとしても、オンラインで対話・協働が続けられる」というものです。
そうすると「グループ」であれば、まずは人間関係やチームビルディングや、いかにして心理的安全性をもたらすことができるかが課題になります。
一方、すでに「チーム」になっていたとしたら課題となるのは、オンラインで協働を促進する、回線速度であったり、ツールや仕組み・制度となるでしょう。
リモートワークは、すでにあった「チームになれていない」という問題を明示化しただけです。
すでにリモート前から問題は始まっていました。
そして、そうしたチーム以前の人間関係の中では、部下を信用できない上司が、常時監視ツールや定期報告などマイクロマネジメントを行い、さらに信頼と生産性を奪っていくのです。
心理的安全性のよくある誤解
「心理的安全性」という言葉は、字面や表面だけを捉えると誤解を生みがちです。
心理的安全なチームというのは、外交的であることでも、アットホームな職場のことでも、単に結束したチームのことでも、すぐに妥協する「ヌルい」職場のことでもありません。
例えば、「結束したチーム」はスポーツの文脈で良く語られ、目標に向かって一致団結する姿がチームの理想として認識されています。
しかし裏を返せば、「結束したチーム」は実のところ、異論を唱えることが難しいチームともいえます。
心理的に安全なチームはむしろ、チームメンバー大勢の意見が一致しているように見えるときでさえ、「それは違うと思います」と容易に反対意見が言えるチームのことなのです。
「心理的安全性」の誤解の最たるものが「ヌルい職場」といったものではないでしょうか。
つまり、人間関係は和気あいあいとしているが、締切も守らず、ストレッチした仕事もせず、コンフォートゾーンの中にいる、といった職場です。
この誤解は「安全」という言葉を日常的な意味でそのまま捉え、「何もしなくても安全」「努力しなくても安全」と解してしまったことに起因します。
しかし、心理的安全性はチームのためや成果のために必要なことを、発言したり、試してみたり、挑戦してみたりしても、安全である(罰を与えられたりしない)ということなのです。
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